Blog@IBS(イノベーション行動科学)

23Aug2009

ベトナム社会イノベーション日記

Category : Social Innovation

ハノイのベトナム人の生活

ハノイの朝の通勤時間。大量のミニバイクが道路を埋め尽くし、まるで魚のようにうねって進む。交通ルールなどあってないようなもので、歩くように、みんなバイクに乗る。つねにプープーというクラクションが鳴り続け、他のバイクや車をよけながら進む。車は、バイクのせいで渋滞。

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送電線のこんがらがり具合は、とんでもない。あちこちで電線が切れて、ぶら下がっている。触れたら感電するのだろうか。

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ベトナム人は、早起きである。毎朝5時に起き、6時くらいにはバドミントンなどの運動をして、そのあと会社の近くで外食をする。家では朝ご飯を食べないそうで、もしかすると、女性の社会進出にはプラスの文化かも。写真は典型的な、朝の食事風景。こういう、風呂椅子のようなものに座るだけの路上カフェが、至る所にあり、みんな長いことしゃべったり、ぼぉっとしたりしている。

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栄光ゼミナール

栄光ゼミナールのベトナム校。なんで学習塾の栄光がベトナムに?と思わんでもないが、どうも戦略的な国際化戦略というよりも、誰かの想いで立ち上げた、社内ベンチャー的な色彩が強いようで、独立運営でやっているとのこと。
事業内容は、ベトナム人に日本語を教える、日本人にベトナム語を教えるかのどちらかで、個人で通う人もいるし、ベトナムに進出している日本企業などでの研修も多いという。

今回は、日本で研修事業を行っているHRインスティテュートが、栄光ベトナムのベトナム人従業員に対して「日本人向けのビジネスマナー研修」を行った。おじぎの文化のないベトナム人に、おじぎの角度とか、クレームに対する謝罪とか、報連相(報告・連絡・相談)などの日本ビジネスでの基本を学ぶ場になった。ベトナム人の皆さんは、真剣に実技をこなしたり、振り返りでコメントを交わしたりしていた。たいへんまじめな取り組みに、ベトナム人の勉強熱心さを感じた。

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ホアスア職業訓練校

1994年、ベトナム人の有志6人が集まり、ホアスア職業訓練校を作った。
1990年頃まで続いた戦争は、ベトナムに多くの戦争被害者を生んだ。孤児の多さも、その一つ。ベトナムでは生活困難な子どもたちは、中学または高校卒業までは支援施設に入ることができる。だが、それを超えると支援は乏しい。
だからこそ、18歳?25歳の若者に対する職業訓練の場が必要と考えたのだ。最初は20人の生徒にフランスパン作りを教えるところから始めたが、今では洋菓子、パーティ調理、レストランサービス、観光、さらに聴覚障害者のための洋裁・刺繍などに広がり、全生徒500人、うち寮生活をしている生徒が350人にまでなった。

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ベトナムの社会問題とは?

バイク渋滞・公害、農村地帯の貧困、交通インフラの不備など、移動中に色々なことを感じる機会はあった。その一方で、これらは彼らにとって「問題というわけではない」ということも感じた。彼らはすべてを当たり前として受け容れ、日中は玄関の前に座ってたり、バイクでぐるぐる回って涼をとっていたりして、なんだか幸せそうだった。

早起きしてバドミントンをしたり、会社の近くの屋台で朝ご飯をみんなで食べたりと、エコな暮らしぶりも自然な感じです。クーラーや冷蔵庫がなくても、ビールに氷を入れればいいじゃん、という自然体が素敵だ。こういった文化、価値観について、もっと深く理解することで、将来に明るい希望を持てない日本人が彼らから学ぶことは大きいと思った。

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フエミン中学校

HRインスティテュートが校舎を寄附する学校に向かった。ダナンから2時間以上、舗装されていない道をバスが進む。周辺は、美しい田園風景。川が多く、とにかく美しい。住宅や店舗などの建物は質素ではあるが、こぎれいだ。暑さのせいか、日中は、多くの人が家の前で微動だにしない感じで座っている。

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学校までの道、最後の5分というところで、道のでこぼこが激しく、バスが通れない状態になってしまった。こんな田舎でも携帯とバイクは普及しており、電波もすぐにキャッチでき、学校に電話をした。
すると、校長先生をはじめとする7人くらいの先生が、次々とバイクで現れた。私たち一行は、この想定外の出来事に喜び、先生たちのバイクの後ろに二人乗りをさせてもらった。5分間のバイクは、とても涼しく、爽快だった。

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フエミン中学校の校長先生の話。フエミンの村は、家が合計1,500戸、5,600人の住民がいる。95%が農業で、全体の47%が貧困に苦しむ。中学校には371人の学生がいる。1クラスは31人程度で、6クラス。クラスは、午前と午後に分かれて運営されている。
世界銀行のベトナム教育プロジェクトによると、初等学校の正味就学率は1993年の86%から、同プロジェクトの活動により、2002年には95%へと改善したという。
しかし、フエミンのような山奥の学校の校舎はとても古く、教室は質素だ。この校舎の裏に、もう一棟を新たに建てて、通常の教室1つ、PC教室1つ、実験室を3つ、図書室を1つ作りたいということだ。この校舎の建設をHRインスティテュートの寄附と、村からの調達により、建設することになる。10月に着工し、約3ヶ月間で完成する予定で、2月にはオープン式典を開こうと言うことに。

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HRインスティテュート・ベトナム

フエミンの村から、ダナンに戻る。バスまでは再度バイクで送ってもらった。空模様が怪しくなってきた。バスは、運転手が早く帰りたいという理由もあり(ベトナムには残業という概念はあまりないようだ)、次々と左車線から追い越しをかける。ベトナムの交通ルールはかなりいい加減で、追い越し車線をずっと走り続ける車も多い。対向車が来ると、ブーとクラクションを鳴らしつつも、まぁ自分でよけてくれる。おおらかだ。

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ドンワ大学にある、HRインスティテュートのベトナム・オフィス。小さいが、立派に札が立っている。常駐の2名に加え、シニアボランティアが数名、一ヶ月に一週間くらいの割合で勤務する。

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JMC(Japan Management Course)は、HRインスティテュートとして初めてのベトナムでの有料事業。ベトナム人の若手経営者たちを集めて、日本企業の持つ経営ノウハウを教える。30名近いベトナム人若手経営者たちは、真剣に学び、対話し、交流した。

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シニアボランティアの方は、メーカーで海外の工場立ち上げをいくつも経験し、JICAのベトナム派遣で2年間働いていた、大ベテランだ。「JICAのときは完全に失敗だった。今回は、そのリベンジ」と意気込む。というのも、JICAのときは、ベトナム側のニーズがあいまいなままで派遣され、無料のコンサルティングをベトナム企業に提供しようとしても、先方が本気にならない、というジレンマに悩まされていた。事業として持続的な形で成立させていこう、そういうHRインスティテュートの心意気に賛同し、今度こそは、と目を輝かせている。

移動図書館

翌日は、移動図書館を企画・運営しているGlobal Village Foundation(GVF)を訪問した。GVFのあるホイヤンの街は、ダナンから1時間ほど車で走ったところにある。街そのものが世界遺産というホイヤンは、とても美しい。川岸にはフランス建築の名残を感じさせる建物が並び、コペンハーゲンの川沿いを思い出させる。

GVFの移動図書館は、本が200冊くらい入る「図書館スーツケース」のような箱を、一つの学校に一つだけ置いていく。そして半年に一度、学校間で図書館スーツケースを回転させ、新しい図書が回ってくるという仕組みだ。何より、この図書館スーツケースのデザインがすばらしい。開く瞬間のワクワク感、そして開いたときに本がバッと現れるサプライズ感。今から、子供たちの反応が楽しみである。

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今回は、HRインスティテュートが1箱寄附し、それをGVFの人と一緒に、山奥の学校に置きに行くというエクスペリエンス・プログラムに同行させてもらった。前日のフエミン中学校よりも、さらに不便な奥地にバスは入っていく。こちらも美しい田園風景だが、道がデコボコで、2時間近く揺られ少し気持ちが悪くなる。

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そして、ようやく小学校に到着。夏休み中にもかかわらず、子供たちは移動図書館の到着を待っていてくれた。ただ、とても暑い中だったので、バスの到着も予定を1時間以上遅れてしまい、少し子供たちが帰ってしまった後だった。申し訳なかった。
それでも図書館スーツケースを開くと、最初は遠慮がちだった子供たちだが、目を輝かせて本を選び、決めると一斉にむさぼるように読み始めた。日本から持って行った雷おこしも、堅そうにガリっとやって、おいしそうに食べてくれた。

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児童養護施設「希望の村」

中学生くらいまでの孤児、あるいは親が貧しくて育てられないなどの事情を抱える子供を受け容れ、一つの共同体として生活と教育を支援している。今回の訪問は寄附をするというわけではなく、子供たちと交流する、それを通して希望の村の存在を広く知ってもらおう、という目的で行われた。訪問する我々はベトナムの歌を練習して臨み、子供たちはドラえもんの日本語劇で迎えてくれた。
ちなみに、この日に訪問した、希望の村とGVFはどちらも、「天と地と」(オリバー・ストーンの同名の映画)のモデルでもあり、原作者のレ・リ・ヘイスリップさんが立ち上げたものらしい。

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夕方から、突然のスコール。雷が鳴り響き、激しい雨が降り注いだ。道路は雨でいっぱいになり、最初は雨宿りでやりすごそうとしていた人たちも、川のようになり始めた道路をバイクで走る。飛行機の発着にも大きな影響を与えた。

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枯葉剤被害者の支援施設

翌日はからっと晴れ上がった。枯葉剤被害者の会を訪問し、代表のヒエンさんから説明を受けた。3つの施設に200人近い被害者を預かり、1,600人のパートナーと呼ばれるボランティアの人たちが手助けをしてくれているそうだ。脳に障害がある人、身体そのものに奇形が現れてしまっている人など、被害に応じて、介護が必要な人から、職業訓練をして社会に出て行く準備をしている人まで、状況は多様だ。

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彼女からのメッセージは、「被害者に心から向かってほしい。そのために色々な活動に参加してほしい」というものであった。私が感じたことは、被害者への支援は、決して大きなお金が投入されることで実現するのではなく、多くの人が理解し、関わり続けることにあるのだ、ということだ。

ピースビレッジ

孤児や障害を持つ子供のための、職業訓練支援施設。子供たちは、旧型のミシンを使って小物を作ったり、刺繍を縫ったりといった、職業訓練を受けている。自立できるようになったら、ミシンを一台もらって家で仕事を続けるとのこと。

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この施設の運営も厳しく、将来は不安定のはずだが、子供たちも教員の方々も、とても明るい。折り紙を配ってあげると、折り鶴やチューリップなど、器用に折る子がたくさんいた。ここでもベトナム語の歌を披露したが、子供たちがすごい勢いで歌ってくれて、どちらが歌をプレゼントしているのか、分からない状態になった。

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ホイヤン祭り

ホイヤンのリゾートホテルの裏は、田んぼと川が美しく、気持ちのいい風も通る。ホイヤン旧市街に行けば、日本橋と呼ばれる美しい文化遺産があり、年に一度のホイヤン祭りのために、川岸には大きな鯉のぼりがたくさん飾られていた。ベトナムと日本の友好関係を象徴する街である。ベトナム中から数十人のJICAスタッフが集まり、夜は焼きそば屋さんや盆踊り、昼は餅つき大会を開いていた。

ホイヤンの街はとてもきれいで、商店もたくさんあるのだが、いかんせん、買いたいお土産があまりない。アオザイなどの衣服、刺繍のテーブルクロス、箸と箸置き、中国風のポーチなど、典型的なお土産が、ほとんど同じ品揃えで各店舗に並ぶ。物価の価格差もあるので、日本人が買うものは、どうしても1ドル、2ドルのものになる。

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これは個人的な見解であるが、クオリティとデザインのよいお土産があれば、50ドルくらいでも、日本人は買って帰ると思う。だって、またベトナムに旅行に来る確率はそんなに高くないわけだから、ずっと部屋に飾れるようなセンスのいいものは、少し高くても買うと思うのだ。日本の若手デザイナーに、「日本人のほしがるお土産もの」をデザインコンペして、入賞したものを現地企業で製造し、ホイヤンのカフェで売る、飛行機の機内販売で売る、というビジネスモデルを作ったらどうだろうか。

ミーソン遺跡

最終日には、世界遺産のミーソン遺跡に行った。ホイヤンからバスで1時間くらい。抜けるような青空の下、神秘的な建造物が現れた。煉瓦を重ねて作っただけの構造でありながら、きわめて複雑な形態を表現している。まさに、インディ・ジョーンズの世界だ。
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日本語学習に熱心なベトナム人学生

今回のツアーには、外語大を中心とした日本語の勉強をしているベトナム人大学生が、ボランティアで簡単な通訳などを手伝ってくれた。バスの中やお茶をするときに、彼らと話すのも、一つの楽しみであった。写真は、大学生が日本語の予習をしていたもの。我々の情報をWebなどで調べて、日本語でわからない文字を一つずつ、辞書で調べて書いている。

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ベトナムに来て驚いたのが、日本人がほとんどベトナム語を話せないということ。母音の数が10くらいあるらしく、日本人には発音がきわめて難しいそうだ。いきおい、日本企業の管理者は、日本語を話すベトナム人に頼ってコミュニケーションをするわけだが、彼らの日本語もあまり上手とは言えない人が多い。コミュニケーションの問題が、こういうところから生まれているのではないか、と感じた。

まとめ

ベトナム人は幸せそうだ。自分もベトナムが好きになった。これが、率直な感想。彼らは自然体で、今の自分の置かれている状況をそのまま受け容れ、その先に希望をもって生きている。

移動図書館、職業訓練所、HRインスティテュートの社会事業などを一気に駆け抜けてみて、もっとも強く印象に残ったことは、「問題を解決すること」が最大の目的ではなく、「問題の存在を多くの人が理解し、その問題に関わろうとする人が増えること、そして問題の解決に向かって動き出すこと」こそきわめて重要、ということだ。1,000万円の寄附を一人でするよりも、100万円の寄附を10人でするよう働きかけることが重要。1,000円を1万人なら、もっとすばらしい。

その根底には、格差があることは、必ずしも不幸せを意味しない、ということがある。格差の上だと思っている人たちが、下だと思っていた人たちから多くのものを学び、結果としてお互いの格差が縮まる。そういうことだって、たくさんあるのだと思う。格差の下の人たちをなんとかする、そう思いすぎると、我々は自分たちの生活を顧みることを忘れてしまうことになる。それは、とても不幸せなことだと思う。